車を持っていない私のために友人が午後から数時間のドライブに誘ってくれた。たいがい私のリクエストを聞いてくれるので、今日も海が見たいと、そちらの方面のドライブになった。ワイは昔から山のほうが断然好きであったが、60歳を過ぎるころから、雄大で広々した、しかしあまり山のような変化は乏しい、海のほうが好きになった。ぼんやりして海を眺め、時を過ごすのに至福を感じるようになった。
今日は新浜のマルナカの前をとおり、南バイパスを突き抜け、津田橋北詰にでて橋を渡り土手を海のほうへ向かった。適当な土手の空き地で車を止め、そこからは歩いて津田河口(勝浦川)付近にある大きな洲とそこに生い茂る「芦原」(葦やヨシが生い茂る原野)を洲が切れて波が洗うところまで行った。
友人とは前後になりつつ、いろいろおしゃべりもしたが、お互い耳が遠くなっているのと、芦原に吹く風の音のため会話はほとんど聞こえず、後で考えると、相手の受け答えにかかわらずお互いが自分勝手にしゃべっていたような状態で、途中でそれに気づき、苦笑いした。
小松海岸のような見渡す限りの砂浜海岸もいいが、洲が所々に島のように広がり潟湖も存在し大きな葦、ヨシの原野が存在する海岸もなかなか風情があってよい、寒中のこの場所、わびしさ、枯れた風景、まったく人気のいないところ、強風ではないが常に風が吹いている感じは決して嫌な感じではない。歳ぃいった爺さんが、船頭小唄の「♪~おれは~~河原の枯れすすきぃぃ~~~・・・」という歌を好むように、自虐でも惨めさでもなく、結構、このさびしい葦原の状況に酔って嬉々として歌うような感じとでも例えようか。
詩心は少しはあるが、形にして和歌、俳句にする能力は備わっていないが、先人の有名な詩はどのような状況でもわいてくる。
「葦原・・云々」ですぐ思い出したのが
葦原やしげらばしげれおのがままとても道ある世とは思はず
である。古典の和歌ではあるがはて、誰だったか?思い出せない。昔だと詠み人の名前なんどはすぐ思い出せたというか、和歌が浮かんだ時にすぐそれと一体になるものとして思い出したものだが、過去の私の記憶の蓄積は最近、人名をから始まりどんどん消えかかっている。今、ネットで調べると、御名は「後水尾天皇」、名前が思いつくとやっと消えかかった記憶がよみがえってきた。この歌は天皇が実際に葦原にいって詠んだのではなく、幕府(二代秀忠の時代)の皇室に対する圧迫に憤って、詠んだ歌と思い出した。
和歌も俳句もワイの力で創作は無理だが、もし作るとしたら、枯れた葦やマコモの原をかき分けかきわけ、残り少なくなったわが身の残された「時」を象徴する寂しい葦原の道なき道をとぼとぼ歩いている心象風景を表現すると思う。
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