タリフマン、タリフ(tariff)とは関税のことで直訳すると
関税男、一般名詞としてではなく、それが指し示す
特定の人がいる。いま各国を関税攻勢で困惑させている人、言わずと知れた
アメリカ大統領トランプはんのことである。アメリカを偉大にする、裏を返せばアメリカを強くする、といって様々な施策を矢継ぎ早に打ち出しているが、その一環として各国に大きな関税をかけようとしているのは、自らを「タリフマン」と呼んでいるトランプはんの
施策の重要部分である。
私は経済には強くないので、各国に大きな関税を課すことが、どのようにしてアメリカを強くするのか、の詳しいメカニズムはわからない。新聞などの論説で知るくらいだ。関税は適切に用いれば、税なので国の税収も増えるし、また過度な安売りの輸入品に対し、自国産業を保護する意味もある。また戦争に訴えないで特定の国を罰するのに、懲罰関税が有意義なときもある。それらはたしかにアメリカを強くするのに寄与するだろう。
しかしトランプはんの打ち出している各国に関税をかけまくるのは、大方の新聞の論調によれば、とても適切とはいえないらしい。結果として貿易摩擦、すなわち米国から関税をかけられた国がそれ以上の関税を対向してかけるとか、関税として上納される分だけ、輸入品は値上がりし、結果として米国の物価が上がることにつながる。そして海外貿易は縮小傾向となり米国のみならず世界経済を不況に陥れるとのこと。どれも読んでいて納得できることばかりである。物価高、不況は庶民にもっとも経済的ダメージを与える。
新聞の解説はさらに歴史的に関税障壁で先進各国がブロック経済に移行した1930年代を引き合いに出している。先進国の中でもブロック経済圏を作ろうにも規模が小さく、経済圏を作っても、その内部に原材料やエネルギー資源が乏しい国であったドイツ、イタリア、日本は、経済圏の拡大を求め、それが第二次世界大戦の大きな動機となったことを指摘している。なるほとどうなずける。
関税は適切に用いれば有用だが、トランプさんの関税のかけ方を見ていると、米国以外は眼中にないどころか、米国国内の経済にも良い影響をもたらさないだろうと思わざるを得ない。なにか、常識的な新聞や私が思いつかないような深謀遠慮があるのだろうか。トランプはんのキャラをみているとどうもそんなのもないのではないか。もしや知将(有能な側近)がアドバイスかとも思うが、いやいやトランプはんはそんな知将を置かないし、第一、聞かないのではないかと思いなおす。いったいどうなることかと思うが、関税かけまくりは世界そして日本に経済的悪影響をもたらす恐れが強いのではないか。
蚤の金玉びゃぁのわずかの年金(そして上がる率もちょびっと)しかないジジイにとって、もっとも痛いのは
諸物価高である。コロナ以前の5年前からみると物価は、年々どころか最近は季節(三ヶ月)ごとに値上がりしている。エンゲル係数100となってもこれさえあればなんとか露命をつなげるという
米でさえ2~3倍の値上げである。このままでいけばワイは一年後にはやりくりがつかなくなる。ほれまでに死ねばええんだが、そううまくもいくまい。大正7年にあまりの米の高騰におかみさん連中が、米寄こせ、といって米穀商や倉に押しかけ強訴・強奪した
米騒動があったが、これ以上物価があがるとそんな騒動も是認したくなる。各国の関税のかけあいがはじまれば、だれが考えたって物価高に跳ね返ってくる。これ以上の物価高はホント、ワイの死活問題だわ。
トランプはんはこうのたまったそうである「あぁ~、関税、なんという美しい言葉だろう」(もちろん英語で、これと同じ意味の言葉だが)、彼は関税は富をもたらしアメリカを強くすると思い込んでいるようだ。彼はまた19世紀末から20世紀初頭に大統領だったマッキンリー氏を尊敬している。彼も関税政策を多用した人として知られタリフマンと呼ばれていた。関税ばかりでなくマッキンリー大統領はアメリカの帝国主義を代表する大統領でもある。海外に領土を求め、あるいは保護国化した(ヒィリッピン、ハワイ、スエズ運河とパナマなど)。そんなところからトランプさんはマッキンリー大統領と自分を重ねているのではないか、その結果が関税かけまくりと、帝国主義を彷彿とさせる言説なのだとすると、ずいぶんと時代錯誤じゃないかと思うが、ちっとも改める気はなく、これからもそのような方向で進んでいくようである。
トランプはんは歴史的に帝国主義の高まったマッキンリー大統領の時代の関税のイメージが擦りこまれているのではないか、だから「関税、なんと美しい言葉だろう」といい、関税の良い面だけしか見ていないのではないか。日本史が好きでいろいろ勉強してきた私は関税にそんな美しいイメージを持たないどころか、はっきり言って嫌なイメージを持っている。
近代史では幕末に結んだ不平等条約の一つに関税自主権がなかったことがあげられる。日本は、欧米から押し付けられた不平等条約のため、関税のプラス面の一つである国内産業保護のための関税障壁を自主的に設けられず、その撤廃に何十年も苦労するのである。関税をかけたくてもかけられなかったのである。関税に関し、この横暴な欧米は、近代史を勉強する日本人にはちょっとしたトラウマになる。関税にわるいイメージがくっつく。
中世までさかのぼると関税はもっと嫌なものとなる。え?中世に関税があったの?と思われるかもしれませんが、関税とは呼んで字のごとし、各地に蟠踞する中世の領主がその領土に出入りする要所に関(セキ)を設け、その
関(所)を通過するとき領主によって人には通行税、物品には物品税を徴収された。これが
関(所)の税、すなわち
関税、これがそもそもの始まりである。中世は封建領主がたくさんいて、そのめいめいが関所を設け、通行のたびに何やかやと徴収されるのであるから、旅人、商人が受けるそのわずらわしさ、その負担は並大抵ではない。
自給自足経済のままなら他領へ行くことなどめったになくてもよいが、これでは全国一円の経済圏の構築は難しくなる。自給自足のままなら、経済規模の拡大も、ひいては庶民の経済的向上も無理となる。
その中世の弱小経済を打破し、近世の経済へと移り変わる大きな動きが、中世末にあった。「楽市楽座」である。戦国末に数ヵ国にわたる比較的大きな領地を一円支配した戦国領主は自ら楽市楽座令をだし、領地一円、スムーズな経済流通が行えるように意図した。その楽市楽座令のなかでも肝であったのが関所の撤廃である、当然、頻繁で煩わしい関(セキ)銭の徴収も廃止となる。これが近世経済への脱皮のきっかけとなるのである。
ちょっと想像してほしい。35kmほど向こうの目的地(これは人が徒歩で日のあるうちに無理なく歩ける距離)に行くのに、三ヶ所の他領主のところを通るとしたら、三度関所を通らねばならない。その都度、関(セキ)銭を取られるとしたら、どうかを。まったく関所が廃止になってよかったと思いませんか。現在でも中東のある地域では、反政府組織が、それこそ中世の領主のように支配地をモザイクのように持っているところがある。他国者は通行のたびに関(セキ)銭を取られる。そこではまだ中世が残っている。
このように日本の中世の関所、そしてそこでふんだくられる関(セキ)銭のイメージが私にあるから、関税はどうもよい面より悪い面の方が先行してしまう。そして今あらわれたトランプはん、関税をかけまくる、といっているが、なにやら中世の恣意的でわがままな領主があっちゃこっちゃに関所をもうけ、金をまきあげようとたくらんでいるようにみえる。タリフ(関税)が美しく素晴らしく見えるのは、トランプはんだけじゃないのかと思ってしまう。