2025年9月8日月曜日

なんやかやのこの24時間、こりゃ、なんぞいな

 


 まず昼ごろ「石破首相辞任」という大きなニュスがテレビ・ラヂヲ・ネットで駆け抜けた。石破はんにたいして、どびつこいくらいに、「やめや!」「いんややめん!」(これは主に首相個人というより取り巻きや支持者が多かったようであるが)の応酬がこの一か月以上繰り返されてきたように思う。ワイがネットのヤッホーニュスに接したとき、今までのそのような経緯もあって「ホンマかいなぁ」と半信半疑だったが、午後6時のニュスで首相本人がTVのまえで会見して正式発表するに及んで、確実になった。

 そうなるとやめる石破はんはどぅーでもええ。どうぞ、よい余生をお過ごしくださいだが、次には、一国民としては次の首相や内閣はどんなもんになるかに関心が移る。日本には議院内閣制、首相指名衆議院優越の規定があるため、衆院過半数の政党があればすんなりその党の総裁が首相になるのだが、現在の状況ではそうはならない二つの政治状況がある。

 一つは多数党である自民党が衆院で過半数を維持していないのだ。多数ある野党ももちろんどれも過半に達しない。北西ヨーロッパのいくつかの国のように野党がいくつか政策協定を結び合同して過半に達し、連立政権を作るという洗練されたやり方を今の日本の野党に求めるのは無理のようである。そうなる衆院の決選投票で比較第一党の自民党総裁に首相が選ばれる可能性が大きいが、もしかして与党の一部を巻き込んでの野党が連合して過半数人達し、首相指名選挙で野党の中の一人を指名したら、自民党の総裁が首班指名で選ばれない可能性も排除できない。

 第二はこれから自民党の総裁選びが本格化する、政治空白を避けるためできるだけ早く決めるのが良いが、国会議員票だけでなく全党員の意志を尊重する総裁選が行われる見通しが大きい。今のところまだ、ワイが、ウッチャがでますと、手を挙げている人はいないようだ。権謀術数にたけた人々が多くいると思われているのが残念ながら自民党である。本当に党だけでなく国家の政治を任せられる党総裁がその過程で選ばれるのか懸念がある。

 ネットなんぞを見ていると、何人かの有力候補が上がっている。注目度の高いのは二人である。一人は小泉政治一家の御曹司小泉進次郎、もう一人は奈良県選出衆院議員の高市早苗である。さて、この人が立候補するかも含め行方がどうなるか見ものだが、この二人にはもう一つ注目するべき理由がある。この理由は大したことではなく、政治的な資質にどう関係するの?と突っ込まれれば、あえて言うべきことでもないかもしれないが、まぁ、言っておく。

 進次郎はんの場合は、もし今年中(たぶん10月)に選ばれれば歴代内閣総理大臣の中で初代伊藤博文と並ぶ44歳の若さとなり、一位タイの若い宰相が誕生する(厳密にいうと博文はんのほうが4ヶ月びゃぁ若いがともに44歳は変わりない)、戦後に限ればダントツの若さ40代首相である。

 早苗はんの場合は、もう猫でも知っているとおもうが憲政史上初の女性首相となる。それどころか、史上で探しても女性権力者が最高位の政治権力の座に就くのは、たしか尼将軍と言われた北条政子まで遡りゃならんから800年か?女性にとってはドえりゃぁこっちゃわ。

 先に言ったようにそんなことが選定するにあたっての価値になるかどうか疑問があるが、世界の先進国である北西ヨーロッパなんぞで、若い、あるいは女性の首相や大統領が誕生しているのをみると、ええなぁ、とは思わぬまでも、進んでるな、それに比べ、ジイヤやんや、くたびれたおっさんげぇな歴代首相を見てきたワイからすると、日本は遅れ取るわ、という感情が湧いたのも事実である。


 阪神ファンにとっては首相退陣のニュスよりなにより、阪神優勝が決まった午後9時台の興奮に勝るものはないだろう。もしかしてまた道頓堀に飛び込む人が出るかもしれんとおもってたら、案の定、29人も飛び込んだらしい(外人もいたようだ熱狂につられたんかな)。死人がでたらどないするねん。昔、あばさかって道頓堀川へケンサンダースの人形を放り込んで川底で行方不明になっていた。あの時呪いで阪神は以後17年も優勝できんかったと言われたやないか、これ、死人でもでたら17年どころの呪いやないでぇ、今世紀中は無理かもわからん。剣呑なこつはせんこっちゃ。


 深夜、2~3時ころ皆既月食があるとのこと、多くの人にとって観測が困難な時間帯だっただろう。ところがワイにとってはそうではないのである、一晩に1~2回、又はそれ以上の時もある、ションベンに夜中に起きるので、ちょろっとワイの家の庭に出れば西に傾く月食の月が観察できるのである。で、目ぇ覚めたのは午前3時ちょっと前、ションベンにいって庭に出ると、なるほど、「ブラッドムーン」と呼ばれるだけのことはある、赤黒い月がみえた、ちょっと不気味な感じがした。日本語に訳すと「血塗られた月」とも訳せる、これ占星術ではどんな意味、あるいは予兆が言われているのか、気になってネットのAIに聞くと以下のような回答をしてくれた。

『占星術において皆既月食は、人生の大きな転換期や生まれ変わり、そして手放しと成熟を表す特別なエネルギーを持つ日とされています。これは、普段よりも深い「シャドウ」や無意識と向き合うことで、過去に区切りをつけ、自分自身の本当に大切なものを取り戻すための旅の始まりを告げる象徴でもあります。特に、感情に流されず、具体的な視点で物事を整理し、価値ある人間関係を選び取る「境界線を引く」作業をサポートする力があるとされています。』

 よ~意味が分からん、ワイに引きつけてかんがえるとどうゆうこっちゃ?なんぞええことがある、あるいは積極的になんぞやったらええことに結び付くんかいなぁ、だれぞわかる人おりまっか。

2025年9月3日水曜日

SF映画を見て


  左の映画、タイトルは『ミッキー17』である。数か月前に封切られた映画で、封切り前にある雑誌であらすじやその評論を読み、興味深かったので見たいと思っていた。封切り時は映画館まで足を運んで見るつもりだったが、結局、見られなかった。しかし最近ビデオ屋で新作DVDとしてリリースされたので先日借りてみた。見終った感想であるが、私としては期待以上に面白かった。


 すこし大袈裟な表現かもしれないが、「人が生きているとはどうゆうことか」、「人の死とは何か」「不死は可能か(少なくとも数世紀にわたって生きられるか)」などについて考えるきっかけを与えてくれる映画であった。とはいっても明晰ではない頭脳しか持ち合わせのない私である。考えるきっかけを与えてはくれたが、上記三つの問題について考えが深化してまとまって自分なりの解答が見つかったわけではない。しかし、こんな問題は一流の頭脳を持つ自然科学者や哲学者であっても容易に解答が得られるものではないだろうことは確かであるから、映画を見終って、少しでも私なりにそのことについて考えただけでも価値のある映画だと思っている。

 映画を見ていない人や映画について何の情報もない人にこのような書き方をすれば、なんか小難しい映画じゃなかろうかと思われようが、そんなことはない。ジャンルでいえばSF映画ではあるが、たぶんにコメディーの要素も加わった娯楽映画であり、上記の三つの難問を考えるきっかけとなるか否かは別として、大人から子供まで、単純に見て楽しめる映画であると思う。

 ただ、子どもの時から理科が好き、あるいはSF的な話題が好きで、未来、死を超越するような科学の可能性に少しでも思いをはせたことのある人ならば、この映画を見ながらこのようなことを考えるたのではないだろうか。

 近年3Dプリンターは発達は目覚ましいものがある。被写体の形状(つまり色形)を驚くべき緻密さで再現できる。並べればオリジナルなものと見分けがつかない瓜二つである。だが現在のところはその素材は金属かプラスチックが多い。外部の形体ばかりでなく内部構造も瓜二つにする3Dプリンターはまだ開発途上である。しかしこれもやがてできてくるだろう。もっと技術が進めば形状、内部構造、また素材の化学組成も同じものがプリントされるようになるだろう。突き詰めれば、分子レベルで同じものがコピーできる3Dプリンターができるかもしれない。タンパク質や脂肪で複雑に構成された「ウインナーソーセィジ」をこの3Dプリンターでコピーすると全く同じ組成構造(有機物)が生成され、もちろん食べてもオリジナルと同じ歯ごたえや味が味わえるのである。分子レベルで同じものだから当たり前である。

 さて、ここで映画に話を戻す。未来、人類は別の恒星系の惑星に移住している。そしてそこには、分子レベルで正確にコピーできる3Dプリンターが一台ある。その再現度は100%である。そしてコピーされるのは生身の人間、ミッキーという青年である。そんなのあり得ない!と突っ込みを入れられようが、少し考えればわかるが、生きている我が身である自分であっても、それはこの宇宙に存在する複雑ではあるが、分析可能な構造、組成をもった「物質」である。出来る出来ないは別として、自分が存在する以上、自分と同じ組成構造の物質である「コピーされた自分」もこの宇宙に存在することはあり得る。

 映画では実際にそのコピーされたミッキーという青年が主人公となって活躍する。さらっとコピーされたミッキー、と書いたがそこには最初に書いた問題を惹起する大きな謎がひそんでいる。まず、完全に瓜二つにコピーされてプリンターから出てきたコピー人間は生きているのか、という疑問である。つまり自由に動いて思考できるのか、もしそうだとして、これが「生きる」と言うことになるのだろうか。しかしこれはこのコピー機の発明発達段階の上で過去に解決されているはずだ。過去に人間ほど複雑ではない例えば単細胞生物の「アメーバ」のようなものを正確にコピーした段階で、確かめられたはずであるからである。捕食活動を行い、細胞分裂で増えていけば、それは生きたアメーバーを作り出したと言えるからである。

 だが人間のような精神活動を行う生物ではどうか、コピー機から出てきた段階で、被写体のヒトと同じ思考活動ができているのか、映画ではこのようなコピーされたヒトの精神活動についてもいくつかの科学的な伏線があり、(精神活動も含めて生きた人間をコピー機で作るということも)納得できないこともない。

 思考、記憶などの精神作用も含め、完全コピー人間が「生きている」とすれば、映画を見ていて私自身に引き寄せて思ったことは、これはもしかして万人がこい願う「不死」になることの福音となるかもしれないということである。私が死んだとしても、まったく同じコピーの私が生きているとすると、私は死んだことにならないのではないか?しかしこれには常識的な反論で否定されそうである。

 「なにぉ、アホぉげたこと言いよんぞい。ワイはワイじゃちゅう強固な自意識がワイにあるのに、コピーされた人間にそれが移るんかい。そんなことがあるかいだ!」

 ここでこのようなシュチュェーションで考えてみよう。ヒトは過度の疲れ、あるいは何か病気で、非常に深い眠り(昏睡)に落ちたとしよう。記憶も自意識もその間は断絶している。しかし目覚めれば、すべてが回復し、目覚めた自分は前と同じその人の人生を続ける。これは誰もが経験することである。では、その昏睡状態のままその人をコピーする(分子レベルで何もかも100%同じものができるとする)そして、オリジナルの人がその時点で死んだとする。しかし同じにコピーされたその人は昏睡状態のまま存在し、やがて目覚める。さて?そこでだ、目覚めたそのコピーは、死んだオリジナルのヒトの何もかも持っているはずだから、記憶からも、そしておそらく脳から生まれる「自分は自分じゃという意識」や、「眠り以前の自分も今の自分もずっと続いているという強固な自意識」もオリジナルの人と全く同じに持っているのではないか。この状況で、昏睡して死んだあとコピー人間が目覚めるのと、単に深い眠りに落ちた人が目覚めるのと、なにほどの違いがあるのか。

 しかしこれで人は死ななくなるといっても、常識が納得しない。やはりコピーできない、その人をその人たらしめている「ナニか」がある筈で、それがコピーできずに本体の死とともにそれが失われるのだから、やはり、コピーが生きてもその人には死であるのではないか。だが前提として、分子レベルで100%同じコピー人間が出来たのである。そのコピーできない「ナニか」は分子どころか物質でもない何か「霊」のようなものを設定しなくてはならないのではないか。

 そう難しく考えなくても、このような反論もあり得る。

 「じゃぁ、オリジナルの人間が死なずに、コピーが同時に存在し、その人の目の前に現れれば、自意識は、オリジナルから離れ、コピーといわば共有されるような、まるでシャァマン(巫女)に霊が憑依したように一体二霊あるいはその逆のような一霊二体の不可思議な自意識状態となるのか。」

 そんな馬鹿なことはありえないから、やはり本人であるという自意識は当人固有のものでコピーは持ちえないと考えるのが常識ではないか。死は厳然たる人の消滅であり、100%同じコピーを作っても死を免れることはできないのではないか。

 映画では、この「死」と「完全コピー人間」についてどのように考えているのか。実は映画ではオリジナルが死に、すぐコピー人間が作られるが、そのコピー人間も(過酷な使命が課せれれているため)17回死ぬ。しかし原則というか厳然たる規則(法律)があって、オリジナルが死ぬまではコピーはできず、作られたコピーは必ず一体しか存在できないのである。つまりオリジナルあるいはコピーが死んだ時点で次のコピーが出来上がるのである(オリジナルの人体情報は煉瓦くらいの大きさの装置に網羅され記憶されている)。だから上にのべたように二体の同人が存在して対峙することはなく、一霊二体とか二霊一体とかいう不可思議な状況は映画では巧妙に避けられているのである。そういうわけで必ずこの世には一体しか存在しないのである。その17回生死を繰り返した(コピーとしてだが)青年ミッキーは、以前の記憶も持っているし、脳の内部構造まで完全にコピーされているから性格も、それから強烈な自意識も全く前者(死んだ)と変わりがない、だから自分は死んで完全に消滅したとは思っていない(ここは重要である)。彼にとって死と再生眠っていて目覚めたようなものである。このような映画の説明もなるほどと納得できる。

 皆さんはこのような映画の状況の下、はたしてミッキーは17回死んで、今存在するミッキーは別物と思われますか。それなら死は免れえぬ運命と思えますが、まったく同じ正真正銘といってもよいくらい完璧なミッキーが続けて存在するとすると、周りもそして続けて生きている本人さえも、死は、蝉が脱皮して抜け殻を残すような軽い状態が「死」じゃないかとも思われてきます。

 ところが映画はこれで終わりません、クライマックスは、なんと17回目を生きるミッキーが死んだと思われて、18回目のミッキーが作られるのです。しかし17のミッキーは死んではおらず、17ミッキーと18ミッキーが同時に存在して対峙するのです。この時、同時には存在してはならない決まりのため、18ミッキーが、どうせ死んだと思われているし、死んでもまたコピーとして生きるんだから、お前が死ねとばかり17ミッキーを襲います。その時、面白いというか、当然のことだろうと思いますが、17ミッキーは、死ぬのが怖いといって、逃げます。対峙することによって17ミッキーは、18ミッキーとは別物だということに気づいたんでしょう。「死」はやはり厳然たる消滅であり、たとえ完璧に人体や脳、記憶をコピーできたところで生者必滅は覚悟しなければならないのでしょうか。

2025年8月31日日曜日

晩夏

  季節では「初秋」といいたいが、とてもとても、ちょびっとびゃぁでも「秋じゃ」といえそうな季節感はごわへんわ。よんべ暗ぅなってちょびっと歩いたが、徳島市内のむっとするような暑さを体感したら、秋なんぞという言葉は微塵もでぇへんわ。また夜寝るとき、当然、クウラをつけているが、外気が暑いため、風量、設定気温とも強め(低め)にした、それでも連続運転していると、サァモゥスィッチが入るのか、時々弱めに切り替わる、その時点で、汗をかいて、ウゥゥン~なんぞと呻きながら、目が覚めて、ションベンと、冷たい水を飲むためノロノロと部屋を出ていく。それが三べんもあった!

 今朝早朝の最低気温を天気ニュスでみると27℃、日中は当然猛暑で35℃を越える予想だ。断言してもええが、昨夜から今朝にかけての暑さは、盛夏つまり八月初めからボニ頃までの暑さをも上回っていた。この異常な暑さ何時までつづくんかいなぁ、病と貧にせせられ、その上異常な暑さにブッ叩かれては、この哀れなジジイの体が持たんわ、「たのむけん、お天とうはん、もぅおこらぃなしてぇ~」と天に向かって祈りたいわ。

 日本全国、今年の夏は異常な暑さだった。しかし過去形で済んではいない。明日から九月というのにその暑さがまだまだ続く予想だ。夏といえる期間が長くなっている。先にも書いたがこの時期になっても初秋という言葉がつかえる体感や風物の情緒もない。とすると、今の時期は初秋ではなくむしろ「晩夏」と呼んだ方がふさわしい。昔から『季語』に「晩夏」というのはあったが、それは初秋感が忍び寄る万物の風情の中で使われた。だからその時期は「初秋」という言い方も出来た。しかし今の時期、初秋の雰囲気はほとんどない。

 なんぼうなんでも後、二つの旬日(九月の下旬までには)を過ごせば秋は到来するだろう。全く長い夏の期間であるが、その長い夏の最後の方という意味で「晩夏」は位置する。昔の晩夏という言葉に込められた初秋の情緒のないまま、単なる夏の後半の方という意味で今日この頃の時期に「晩夏」という言葉を使いたい。

晩夏の風景その1(昔しゃぁ、稲刈りといやぁ、なんとみなさん!晩秋の季語に使えたものだが、今や八月中に稲刈りをすます所が多い)


晩夏の風景その2(暑い夏が長いせいか、原野や荒れ地、耕作放棄地では蔓性の植物、匍匐性の植物が元気いっぱいにはびこっている、その中に野生の朝顔が大輪の花を咲かせていた、朝顔は夏の季語とも思われようが伝統的な扱いでは初秋となっているが今では晩夏にふさわしいんじゃないかな)


晩夏の風景その3小松島金磯海岸、向こうに見えるのは海に突き出た弁天山。海辺は海風が吹いて、気持ちいいかなと思って言ったが、風もほとんど吹かず、海浜もひどく暑かった。寄せる波もゆるく、海全体がねっとりして、海も猛暑の影響を受けているのだろうか)

2025年8月30日土曜日

「高」のつく地名について

  名西郡石井町には「高」がつく地名が多い。大字でいうと高原、高川原、高畑・・などである。なぜ?と考えてすぐに思いつくのはその土地が高地ではなかろうかということである。しかし実際に上記の地区を歩いても平地が広がり、そこが高いところであるという印象は受けない。

 石井町はその大部分が吉野川の沖積平野である。平野の名の通り高地や丘などはない。では「高」という地名は別の理由だろうか。しかし調べるとやはり高地にちなんでいる。だが高地とはいっても「微高地」である。周りの地域より数メートルだけ高い台地状の土地である。石井町高原にある神社に樹齢800年をこえる樟があるがその説明版に「・・微高地に位置しており云々」とある。


 明治以降、吉野川の堤防が築かれ、中小の河川の護岸工事も進み、洪水の被害は今はないが、明治以前は度々洪水に襲われ低地は水に浸された。しかし一面の水浸しではなく、微高地にある台地上の土地は島のように点在していた。いまでこそ石井町は平たんな土地であるように思うが、洪水などで水が全面に押し寄せると、数メートル高い微高地は沈むのではなく水面上に出るのである。洪水によってその微高地の台地ははっきりとわかるのである。その微高地の台地が高原、高川原、高畑になっているのである。

 石井町には地名以外にも「高」のつくものがある。「高地蔵」である。この「高」は地蔵の丈が高いことを表す。洪水の浸水にも沈まぬようにという説が有力だが、下の東高原にある慶応元年作(1865年)高地蔵はかなり高い、いや高すぎる。もし台座まで水が来るとすると、家屋敷、人馬もろとも押し流されるノアの洪水くらいの大災厄である。むしろこれは信仰の対象としての地蔵にたいする願い、つまり洪水が低地にとどまるようにとの思いが、「低」とは反対の、その名に「高」を冠する高地蔵を作ったのではないだろうか。


 

2025年7月28日月曜日

つかの間の避暑・霧の森と雲辺寺

  暑い中今日は少し遠出をしました。連日35℃以上の猛暑日、どっか「涼ぅしいとこ行こ」ちゅうことで友達と車で愛媛の山間部にある『霧の森』(道の駅とレストラン、菓子工房、清流の水遊び場などがある)と讃岐(香川県)の雲辺寺さんへ行ってきました。

 自動車道にのって愛媛の新宮で降りるとすぐ「霧の森」、まず菓子工房付属のカフェで抹茶の大福を食べ、その後隣にあるレストランで昼飯を食べました。

 霧の森菓子工房


 下に降りると澄んだ清流が流れている渓谷では子供がたくさん水遊びをしていました。標高は250mびゃぁでしたが涼しい場所で避暑地にもってこいです。聞くとバンガロもあって宿泊もできるようです。



 雲辺寺さんへは車をおいてロープウエイで一気に約千メートル上りました。気温は下界より7℃以上は低い25℃(電光掲示)


 まず雲辺寺(66番札所)へお参りしました。参道はまだアジサイが見ごろで五百羅漢の石像がずっと続いて並んでいました。


 山頂には大きな毘沙門天の銅像が立っています。


 その横にあるのが山頂遊園で呼び物の「天空の大ブランコ」があります。幸いにも今日は月曜日で人出は少なく、我々も乗って漕ぐことができました。



 ブランコに乗りながら動画を撮る。下界には大野原の平野そして瀬戸内海が広がり、ブランコが高くあがると夏空が見えます。

2025年7月15日火曜日

海に入る参道がある日出(ひゅうで)神社

  今日、鳴門市瀬戸町堂浦の日出湾に面した日出神社へ行ってきました。以前は私はこの神社のことは全く知りませんでした。数日前に地元紙に「海に入る参道をもつめずらしい神社」としてこの神社が紹介されていましたので知ったのです。興味が湧いたのでいつか行って見ようと思っていましたが、昨日の大雨から一転、今日はからりと晴れ、比較的涼しい朝を迎えたので出かけました。鳴門駅から讃岐引田行のバスに乗り、小海口(おうみぐち)というバス停で降り、2km強(2.5km)歩いてお参りしてきました。

 国道11号沿いにあるバス停から右に折れて、鳴門スカイラインへ行く道を歩きます。ここらあたりは11号から鳴門スカイラインへ続く道なので、ドライブする恋人たちが多いのでしょう、バス停からちょっと歩くと繁盛しとりげぇなラブホテルがありました。ラブホの名前は「アヒアヒ」です。思わず笑ってしまいました。

 「アヒアヒじゃのうて、よがり声のアヘアヘじゃないんかぃ」とつっこみを入れとうなりました。


 またバス停の近くには櫛木浜という海浜がありますが、ここは今から110年びゃぁも前、第一次世界大戦で(中国の青島戦で)捕虜になったドイツ兵捕虜が海水浴をした浜だそうです。草に埋もれかけてましたがこんな看板が立ってました。


 歩き出してしばらくは海は見えず、四方小山に囲まれたのどかな田園の中を歩きました。トンビがゆったりと滑空していました。左下山際、胡麻粒のようにしか写っていませんが見えるかな?


 20分くらい歩くと日出湾(ひゅうでわん)が見えてきました。


 湾に沿った道をさらに歩くと日出漁港に行く道が、スカイラインから分岐しています。少し歩くと日出神社がありました。



 なるほど!鳥居からでた参道は石段に続き、そのまま海に入っています。



 漁村の小社ではあるが、参道が海に向かいそのまま海中に入っている神社は、ここ阿波ではめずらしい。海に関係する神、あるいは女神かと思ったが、そうではなくて五体ある地神さんの中の大己貴命(おおなむちのみこと)と少名彦命(すくなひこなのみこと)の二柱が御祭神である。いまから350年びゃぁも前、この付近に毎夜怪炎が出るのを村民が恐れ、方3尺の神殿を造り地主神を祀ったのがこの神社の始まりと伝えられている。

 下が動画です。

 道々、ピンクや白の夾竹桃の花が目を楽しませてくれました。下は夏空に向かって雄々しくさく夾竹桃の花です。

2025年6月27日金曜日

内妻あじさいロード

  今日、牟岐町内妻海岸近くにある『あじさいロード』に行ってきました。

 昼飯は、途中の橘町にある海の見えるレストランで特製ハンバークランチ(二つハンバーグが銅プレート皿にのってますが、一つは阿波黒和牛巻きハンバーグです)を食べました。一人前が約2000円、高い!しかし柔らかくておいしく、その値打ちはありました。



 あじさいロードの写真です。向こうには内妻海岸が見えています。2kmにわたって道の両側にあじさいがあります。