2025年3月31日月曜日

讃岐弥谷寺

  今日、友人と讃岐弥谷寺を参拝してきました。

 本堂


 摩崖仏


 修行大師の銅像と桜

2025年3月26日水曜日

ここ数日歩いたところ

  鶴林寺と立江間のお遍路道の一部を歩いた。勝浦町の沼江バス停で降りると、沼江不動と称される石仏が立っている。お遍路さんもここで手を合わせたことだろう。ここから立江寺まで歩く、約7kmほど。


 途中、このようなお遍路小屋があった。最近は素泊まりの遍路宿でも高額の宿泊料をとる。このようなところを利用すればタダで泊まれるが、歩き遍路さんでも有料のちゃんとした宿泊所に泊まる人が多い。しかし、歩き+野宿(このような遍路小屋も含む)が、伝統的な、ある意味本物のお遍路さんじゃないかなと思う。


 道端では桜や桃の花が咲いていて目を楽しませてくれる。途中、6人の歩き遍路さんにあったが、なんと一人が日本人(または東洋系)だけであと5人は白人だった。逆に立江寺の駐車場からお参りする、車での参拝者はみんな日本人だった(境内や本堂でなんらかの言葉を発していたのでわかった)



 昨日は、本州から淡路を通って鳴門に上陸した歩き遍路さんが歩いた遍路道を、岡崎港から撫養駅まで歩いた。岡崎の船着き場から数百メートル遍路道を進んだところに、こんな石柱があった。大昔、ここに遍路関所があったようだ(左端の石柱)。


 撫養川沿いの水仙と真菰(マコモ)の群落、このような風景は現代ではあまり見られなくなったが、昭和の初めころまでは撫養(鳴門市)にはこのような場所が多くあり、お遍路さんもたびたび目にしたことだろう。

2025年3月23日日曜日

徳島マラソン路傍で見学しました

  本日は徳島マラソンの日である。午前九時県庁前スタートとなる。下はスタート直後、九時過ぎ、検察庁の前で写真を撮る。


 阿波踊り連の踊り子も応援していた。


 短いコースのマラソンも同時開催された(チャレンジコース)、城山を一周する。子どもや車いすの人も参加していた。下は下乗橋(石橋)付近で撮影する。

2025年3月20日木曜日

彼岸中日

  今日は彼岸中日なのでお寺を三ヶ寺参拝した。霊山寺、極楽寺、金泉寺を霊山寺前バス停から板野南駅まで歩いてお参りした。4kmほど歩いただろうか。下が歩きの地図のコースである。


 私が高校生くらいまでは祖父母と一緒に切幡寺へ毎年、春と秋の二回、お参りに行ったものである。当時「犬の墓」行きのバスがあってそれに乗っていったのだが、もうそのバスも廃止され、切幡寺に向かうバスは今はない。そのためバスで参拝できる上の三ヶ寺を選んだのである。

 霊山寺の金の宝珠が見える


 極楽寺ではしだれ梅がきれいだった。


 そうそう極楽寺のお堂の前に須弥山宇宙(仏教の宇宙観)の石の模型があった。九つの界に分かれている。最下層は当然地獄界、最上階は菩薩界であるが、その上に究極の悟りの世界「仏界」がある。でもなんでお堂の前に?何を意図しているのだろう。


 金泉寺山門


 道々には春の花々が咲いていた。桜はまだ少し早いようだ。下は遍路道の路傍に咲く水仙である。


 甥はいま八十八ヶ所参りで寺々を回っている。彼岸の中日の今日、もう伊予から讃岐へ進んだだろうか。

2025年3月17日月曜日

急に思い立って土佐五台山・竹林寺へいく

  昨日、名古屋の甥が来た。母親の墓参りをすませた後、そのあと六泊七日で四国遍路を回る予定だという。早朝名古屋を車でたち、こちらへは午前中についた。一緒に墓参りのあと、近くのレストランで昼食とる。

 車での六泊七日の四国遍路といっても、1番から88番まですべてまわるわけではない。一昨年まで甥は亡き母(私の妹)と一緒に、区切り遍路を時々やっていたので、お四国の半分以上はすましている。そして今回は、甥が一人で、そのまだ行っていない寺々を回るという。亡き母の意思を継いでの今回のお四国回りである。

 レストランで食事をしながら話を聞くと、今日の一泊目は高知で、今回は高知市内の31番竹林寺から始めるという。チェックインまでに今日は少なくとも三ヶ寺回りたいといっている。それをききながら、そういえば私はまだ竹林寺へは参拝したことがなかったことを思い出した。

 甥はここでの昼食のあと、すぐ高速道路にのり高知へ行く予定である。久しぶりに会った甥である、もう少し話がしたいのと、その竹林寺へ私は一度も行ったことがないので、竹林寺まで一緒に行こうと急に思い立った。甥も同意してくれたので、我が家に寄り、参拝のためのろうそくや線香、お札を用意する。ついでに、甥は納経帳以外は持ってきていないので、私が余分に持っていた菅笠や金剛杖、輪袈裟を彼に譲った。

 三時過ぎに高知五台山の竹林寺につき甥と参拝を済ます。甥は次の32番の禅師峰寺へ行くため、そこで別れる。一人になった私であるが、急に思い立ってきたので計画も何もない。あとは徳島へ引き返すのみであるが、帰りの便の時刻さえわからない。とりあえず四時半のバスに乗って高知駅へ降りる(五台山は山なので)。帰るには高知から特急に乗り池田駅まで行きそこから徳島線の普通列車に(特急はない)乗り換えねばならない。しかし駅で調べるとちょうどよい接続の列車がなく、高知駅でかなり待った。けっきょく午後6時38分の特急に乗り、家に帰りついたのは午後十時近かった。

 竹林寺の本堂前で撮影する。四国八十八ヶ寺の中で御本尊が文殊菩薩さまなのはこの寺のみ、文殊菩薩さまは私の守り本尊様でもある。


 大きなお寺で五重の塔もある。


 五台山(竹林寺)の額のかかった山門


 高知には路面電車が走っている。帰りのバスの中から撮影する


 高知駅前には、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎、幕末の三志士の大きな銅像がある。後方のかまぼこ型の屋根が高知駅である。モダンな新しい駅舎である。


 駅で待ち時間がかなりあったので、せっかく高知へ来た記念に、カツオのたたき定食を食べた。

2025年3月14日金曜日

蜂須賀桜が咲きだした

  3月6日のブログではまだ蕾も固かった蜂須賀桜だが、今日見ると3分咲きのようすであった。

県庁の蜂須賀桜


城山助任川沿いの蜂須賀桜 

女殺電網地獄(おんなころしねっとのぢごく)



 今日のブログのお題「女殺電網地獄」おんなころしねっとのじごく)は、江戸時代18世紀初期大坂で上演された人形浄瑠璃、近松門左衛門作『女殺油地獄』もじりである。これは大坂の油屋で実際あった油屋の女将の殺しを近松が脚色して浄瑠璃本に仕立てたものと言われている。

 もし近松が300年の時を経て現代によみがえったなら、江戸時代にもあった女殺しを、現代におきかえて、浄瑠璃でどのように表現するだろうか。独断と偏見でブログを作ってみました。なおこれは具体的な事件とは一切関係がありません。私の妄想と空想の産物ですのであらかじめお断りしておきます。






♬~ベンベンベン~(太棹三味線の伴奏で)

♬~電網に絡まる女の命~、やがて消ゆるとも知らず、高田の馬場にさしかかる~、命の灯は、二歩三歩、つかの間と、知らで、スマホの柄を取る~

 後ろに男が邪見の刃(やいば)抜くとも知らず、スマホ配信に気を配る、

 男は待たず飛びかかり、喉の笛をぐっと刺す、刺されて脳乱手足をもがき

女「たすけたまへ」とわめく一声二声「我が身かわいひ、死にともない、たすけてくだされ」
 
「おお、死にともないはず、もっとももっとも、こなたも我が身がかはいひ程、おれもおれがかはいひ、ここで殺らねば、男が立たぬ、あきらめ死んでくだされ」

 「口で申せば人が聞く、心でお念仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

と引き寄せ、馬手から弓手の首筋へ、刺いてはえぐり、抜いては切る

 女を迎ひの冥途の風、やがて命の火も消えかかり、心も神も暗闇に堕ちてゆく

体は血潮の赤面赤鬼、邪見の角をふりたてて、女が身を裂く剣の山、血の池地獄

 男は取ったスマホをこれみよがしにさしつける

電網スマホ、この世の楽しびにはよくれども、過去の業悪逃れ得ぬ

 あわれ電網に身をとられ、網にからまる露のたま、乱れて、女は息絶へたり

♬~ベンベンベン


教訓
電網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)