2025年8月31日日曜日

晩夏

  季節では「初秋」といいたいが、とてもとても、ちょびっとびゃぁでも「秋じゃ」といえそうな季節感はごわへんわ。よんべ暗ぅなってちょびっと歩いたが、徳島市内のむっとするような暑さを体感したら、秋なんぞという言葉は微塵もでぇへんわ。また夜寝るとき、当然、クウラをつけているが、外気が暑いため、風量、設定気温とも強め(低め)にした、それでも連続運転していると、サァモゥスィッチが入るのか、時々弱めに切り替わる、その時点で、汗をかいて、ウゥゥン~なんぞと呻きながら、目が覚めて、ションベンと、冷たい水を飲むためノロノロと部屋を出ていく。それが三べんもあった!

 今朝早朝の最低気温を天気ニュスでみると27℃、日中は当然猛暑で35℃を越える予想だ。断言してもええが、昨夜から今朝にかけての暑さは、盛夏つまり八月初めからボニ頃までの暑さをも上回っていた。この異常な暑さ何時までつづくんかいなぁ、病と貧にせせられ、その上異常な暑さにブッ叩かれては、この哀れなジジイの体が持たんわ、「たのむけん、お天とうはん、もぅおこらぃなしてぇ~」と天に向かって祈りたいわ。

 日本全国、今年の夏は異常な暑さだった。しかし過去形で済んではいない。明日から九月というのにその暑さがまだまだ続く予想だ。夏といえる期間が長くなっている。先にも書いたがこの時期になっても初秋という言葉がつかえる体感や風物の情緒もない。とすると、今の時期は初秋ではなくむしろ「晩夏」と呼んだ方がふさわしい。昔から『季語』に「晩夏」というのはあったが、それは初秋感が忍び寄る万物の風情の中で使われた。だからその時期は「初秋」という言い方も出来た。しかし今の時期、初秋の雰囲気はほとんどない。

 なんぼうなんでも後、二つの旬日(九月の下旬までには)を過ごせば秋は到来するだろう。全く長い夏の期間であるが、その長い夏の最後の方という意味で「晩夏」は位置する。昔の晩夏という言葉に込められた初秋の情緒のないまま、単なる夏の後半の方という意味で今日この頃の時期に「晩夏」という言葉を使いたい。

晩夏の風景その1(昔しゃぁ、稲刈りといやぁ、なんとみなさん!晩秋の季語に使えたものだが、今や八月中に稲刈りをすます所が多い)


晩夏の風景その2(暑い夏が長いせいか、原野や荒れ地、耕作放棄地では蔓性の植物、匍匐性の植物が元気いっぱいにはびこっている、その中に野生の朝顔が大輪の花を咲かせていた、朝顔は夏の季語とも思われようが伝統的な扱いでは初秋となっているが今では晩夏にふさわしいんじゃないかな)


晩夏の風景その3小松島金磯海岸、向こうに見えるのは海に突き出た弁天山。海辺は海風が吹いて、気持ちいいかなと思って言ったが、風もほとんど吹かず、海浜もひどく暑かった。寄せる波もゆるく、海全体がねっとりして、海も猛暑の影響を受けているのだろうか)

2025年8月30日土曜日

「高」のつく地名について

  名西郡石井町には「高」がつく地名が多い。大字でいうと高原、高川原、高畑・・などである。なぜ?と考えてすぐに思いつくのはその土地が高地ではなかろうかということである。しかし実際に上記の地区を歩いても平地が広がり、そこが高いところであるという印象は受けない。

 石井町はその大部分が吉野川の沖積平野である。平野の名の通り高地や丘などはない。では「高」という地名は別の理由だろうか。しかし調べるとやはり高地にちなんでいる。だが高地とはいっても「微高地」である。周りの地域より数メートルだけ高い台地状の土地である。石井町高原にある神社に樹齢800年をこえる樟があるがその説明版に「・・微高地に位置しており云々」とある。


 明治以降、吉野川の堤防が築かれ、中小の河川の護岸工事も進み、洪水の被害は今はないが、明治以前は度々洪水に襲われ低地は水に浸された。しかし一面の水浸しではなく、微高地にある台地上の土地は島のように点在していた。いまでこそ石井町は平たんな土地であるように思うが、洪水などで水が全面に押し寄せると、数メートル高い微高地は沈むのではなく水面上に出るのである。洪水によってその微高地の台地ははっきりとわかるのである。その微高地の台地が高原、高川原、高畑になっているのである。

 石井町には地名以外にも「高」のつくものがある。「高地蔵」である。この「高」は地蔵の丈が高いことを表す。洪水の浸水にも沈まぬようにという説が有力だが、下の東高原にある慶応元年作(1865年)高地蔵はかなり高い、いや高すぎる。もし台座まで水が来るとすると、家屋敷、人馬もろとも押し流されるノアの洪水くらいの大災厄である。むしろこれは信仰の対象としての地蔵にたいする願い、つまり洪水が低地にとどまるようにとの思いが、「低」とは反対の、その名に「高」を冠する高地蔵を作ったのではないだろうか。