2024年10月29日火曜日

秋祭りの神輿 古い写真から

  今日この頃、十月下旬から十一月上旬にかけて県内各地の秋祭りが行われている。祭りと言えば町内を練り歩く神輿を思い出すが、もう練り歩くという神輿は少ない、車に乗せて引いて回る神輿が多く、神輿渡御自体がない神社もあり、寂しいものである。

 地元のわかいし(若い衆)も少なくなり、またいても地域のつながりを深くもつことを厭う若い人は多い。地元でなくても熱意があれば、わかいし参加ということも考えられるが、よほど有名な神社や祭りならいざしらず、多くの神社は神輿の担ぎ手になろうとする人は少ない。

 それなのに明後日のクリスト教の秋祭りの一形態である「ハロウィィィン」は仮装して喜んで参加する、っちゅうもの矛盾しているが、こっちのほうがビジュゥァルがいいのかな、目立つコスプレェイすれば、異性の目をひくのがいいのかもしれない。

 このあいだウチの古い写真を整理していると、なんと、私の祖父と、が若い時、神輿を担いだときの記念写真が見つかった。下がそうである。上は祖父が写っており(左端)、下は若い父がいる(前列真ん中)。はっきりした年代はわからないが100~90年も昔だろうか。この私の生まれた地の産土神社とは、私が他へ引っ越したため、氏子の縁は切れている。


2024年10月25日金曜日

鴨島菊人形展

  鴨島菊人形展が本日より開催です(吉野川市役所前が会場)。見に行ってきました。毎年大河ドラマがテーマで、今年は「光る君へ」です。三場面の人形展示となっています。平安時代の女房装束(十二単)を菊飾りで表現するのは難しいのではないかと見る前から思っていました。やはりな、という印象でした。



徳大薬草園 

  昨日、徳大薬草園へ見学に行ってきた。前回も前々回も自転車で行ったが、今回は老人パス(ながいき定期券)を使いバスで往復した。国府町日開西の停留所で降りたが、まだ午前八時半、開場には間がある。近くにJAの農産市直売所があったので、ここを見て回り時間をつぶす。途中、南井上小学校の校庭では全校生徒が体操着をきて整列し、体育大会の練習をしていた。「のどかだなぁ~」と思いつつ上を見上げると秋空には見事な鱗雲が広がっていた。


 薬草園には700種をこえる薬用植物(民間薬も含め)があるので今日のブログではその一部を取り上げました。

薬草園全景


 下はローカル紙で紹介のあった。生薬、カギカズラとエビスグサである。カギカズラは高血圧症に用いられる。またエビスグサは乾燥させ「ハブ茶」として用いられ、目の疲れの改善や便秘の解消、更年期の症状の緩和や高血圧改善によいとされる。

カギカズラ(茎から出ている丸くなったカギ状の部分に薬効がある)とその効能の説明



エビスグサ

ハブ茶からの連想で、そういえば健康茶として「ハトムギ茶」もあったな、と思いついて、薬草園のスタッフに効くと、徳島では「ジュズダマ」をハトムギ茶として用いているとのことだ。全く知らなかった。小ンまいころジュズダマの実をビーズ代わりにして遊んだことを思いだす。

ジュズダマ(ハトムギ茶)

ハブ茶もハトムギ茶も飲んだことはない。しかしこれも子供の頃(小学校)、ウチの祖父母が庭で「枸杞」(クコ)を栽培していて、その実や葉などからつくられたクコ茶はよく飲んだというか飲まされた。下が薬草園にある枸杞の灌木である。大人になってはそのクコ茶も飲まなくなったが、中華料理のデェザァトの杏仁豆腐の上にのっている赤いクコの実は時々食べる。

枸杞

2024年10月21日月曜日

秋の野っぱら

  ようやく朝晩の秋冷が身に入()む季節となった。今日は快晴の秋日和、秋の原野はどんなんかなぁ、と郊外へ出てみると・・・、遠目ではまるで早春の菜の花が一面に咲いたように野原が黄色くなっている。しかし菜の花にあらず、帰化植物のセイタカアワダチソウがびっしり群生しているのだ。


 また郊外には稲刈りのすんだ秋田が広がっている。ワイらの小ンまい時は10月に入って稲刈りをしたものだが、近年は8月お盆過ぎに稲刈りをすます。しかしまだまだ植物を育てるには十分の太陽エネルギーと降雨が8,9,10月と続いた結果、稲の切り株から新しい稲が生長し、結実する。もう40cm以上に成長している。立派な稲だ。このような稲を「穭生え(ひつじばえ)」と呼ぶ。籾(モミ)を触ってみると硬いコメの実が入っているのがわかる。このまま枯れてそれらは土にかえるのか、雀のえさになるのか、もったいない話である。

2024年10月17日木曜日

横浜の甥がお墓参りにきてくれた


 横浜の甥がわざわざ休暇をとって奥さんと共にに墓参りに来てくれた。以前来てくれたのは五年程前かなぁ、一緒に昼食をとりながら思い出すと、いやもっと以前になるのと違いますかと甥の嫁さんはいう。老人にありがちな過去をつい最近のように話してしまう癖か。幸い、ブログを作っているので確かめることができる。ブログを繰ってみると、なんと8年前の8月だった。いや~ぁ、そんなのたつのかと、おどろいた。

 私ももうすぐこの墓の住人になるので、すでに入っている妹、親父、祖父母、ご先祖さまを代表して、わざわざ遠くから墓参りに来てくれた甥夫婦に感謝いたします。ご先祖の御霊とともに甥一家の弥栄をお守りいたします。

2024年10月16日水曜日

春日神社の秋祭り、神輿と神主さんが回ってた

  徳島駅のロータリ付近で、ドドンガドンドン、と太鼓の音がする。「なんぞいな」とみると「おみこし」がトラックに載せられて駅ロータリーを何周もしている。

 昔は、お神輿は、祭りの若い衆(ワカイシ)が威勢よく、おみこしワッショイ、と担いだものだ。今は時代も変わり、このようにトラックにのせられ神輿は渡る、みこしぶりはみられずさびしい、しかしこの神社は市内でも一二を争うほどの大きな神社である。だが都会化されすぎて担ぎ手の若い衆が集まらないのだろう。むしろここよりずっと田舎の川田(吉野川市)の八幡さんや由岐(美波町)の八幡さんの神輿は、いまもって多くの若者がみこしを担いでいてその威勢良さをアッピルしている。だから氏子だけでなく多くの見物人を集めている。

 徳島駅やクレメントホテルはこの春日神社の氏子である。駅前のロータリを神輿が巡回している間、ホテルの支配人さんたちが神主さんに祝詞をあげてもらってお祓いをうけていた。

2024年10月15日火曜日

今夜は十三夜 

  今日は旧暦の9月13日となる。今夜は「十三夜」だ。旧暦の十三夜は一年に12回あるが、特別にその月を愛でるのは今夜の十三夜だけである。

 午後6時20分ころ我が家の庭から撮影した十三夜月


 叢雲はあるが月の形はよく見える。十三月なので真ん丸ではない。すこし欠けている。いわれによると、十五夜月をみて十三夜月を見ないのは「片見月」といってよくないそうである。私は先月17日に十五夜をめでた(ブログにも記事を載せている)。だから今夜、十三夜月が見られたのは幸いだったことになる。

 十五夜は「月見団子」やススキなどをお飾りしてめでるが、十三夜は何だろう、しらべると今夜の十三夜月は「豆名月」といったり「栗名月」というそうだから、お飾りするとしたら栗か豆か。いま手元に栗や豆はない、今夜はめでるだけだ。そういえば昨日栗をいただいて食べた。それでよしとしよう。ちなみに先月の十五夜は「芋名月」というそうだ。

 誰かに聞いたことがあるが、十五夜すなわち望月は愛でるのを忌避する人がいるそうだ。なぜか?完璧すぎてあとは欠けるのみ、衰亡を予感するからである。それに比べ十三夜はこれから満月つまり「満ちる」にむかう月である。まだまだ隆盛はつづくことを連想するからである。

2024年10月14日月曜日

ポスターと生成AI ここまでできるんか?

使われたこのポスターは生成AIによる可能性の一参考例として使ったもので、このポスターが生成AIによって描かれたものであると断定しているわけではありません。


 このポスターの絵を見たのは県庁のロォビーだった。広報用にたくさん置いてあるポスターの一つであるので一枚もらった。一見して強い印象を与えたので手に取りよく見た。イラストの人物が、他のポスターに使われている人物イラストとずいぶん違ったクセのある特徴を放っているのだ。計五人がボートに乗っている。うち小さく描かれている四人はなぜかちょんまげ、高島田の結髪の江戸時代の格好風俗である。そして水先案内人か船長だろう大きな人物はベレー帽をかぶった現代的な恰好である。時代的なチグハグ感が不思議な雰囲気を醸している。そして船長・水先案内人とみられる人はまるで歌舞伎の荒事の見得・六方のように手を広げているのもさらにわけのわからない不思議感をもたらしている。

 しかし、しばらく見ていると、この強いクセのあるイラストはどのような素材で構成されているのか見えてきた。なぜこのようなイイかた(なんで創造的な芸術家のクリエイチブな仕事を、どんな素材で構成されているか、なぞとと失礼になるような言い方をするのか)をするのかというと、このようなポスターのイラスト・絵画を作るのは「生成AI」がもっとも得意とするものだからである。AIの絵・イラストの生成はAIが持つ膨大な絵、写真、イラストの蓄積の上になされる。その生成をスタートさせるのは人の「言葉による指示」である。「画家の〇〇氏の作品風に、これこれこういう要素をいれて描いてくれ」と言っただけで、早ければ数秒で描いてくれるのである。そして気に入らなければ、あるいは想像していたのと違っていれば、再度入力すれば違った絵を出力してくれるし、指示を少し変えて絵を変化させることもできる。

 上のポスターのイラストはまさにAIが生成したらこうなるであろうなという、私のAIによる絵画イラストのイメージにピッタリ一致するのである。実のところ、このポスターが作家が独自に考えたものか、あるいは私が一方的に持ったイメージのようにAIによるものかはわからない。しかし、人であってもAIであっても、ある過去の素材に強く影響されて作品を作るというのはあることである。丸っきりのコピペなどは論外だが、どのような偉い画家さんの作品であっても、その画家の脳内のメカニズムはわからないが、過去の他の作品、あるいは素材に何らかの影響を受け、それが脳内で消化され創作に結びついているものである。発達した生成AIは膨大なデータの蓄積の上に、芸術家の脳内と同じように、プロセスを踏み、作品を作っているのなら、もはやAIと芸術家の差はほとんどなくなるのではないか。

 それではこのポスターを生成AIがつくったことを仮に前提として、そのプロセスを逆にたどり私なりに分解して、その具体的指示を推定してみよう。

1⃣ 主題が水上タクシーのポスターであるので、デフォルメされている水上タクシーがある。それには乗客、当然乗務員(船長)も乗っている。

2⃣ 背景は吉野川、新町川・市街、眉山でいいだろう。単なる滑らかな水上ではなく、波があれば動的な感じが出せる。素材として北斎の「神奈川沖の浦波」を使うとインパクトは大きい。

3⃣ さて人物イラストのタッチ・特徴であるが、古い、漫画創成期の作品を参考にすれば若い人は知らないので、むしろ新鮮で異彩を放つ。そこで昭和30年代の貸本期の作家で適当な人を探す。

  このポスターのイラストをしばらく見ていて、わかった。私は昭和30年代の貸本屋の漫画を知っている世代なので気づいたのである。これ当時「杉浦茂」の名で活躍した漫画家の絵に似ている。下がその漫画である。人物イラストのタッチもよく似ているが、注意してほしいのは、両手を不思議に曲げた形で頭の上に上げている格好である。これは上のポスターの船長の両手の形に通じるところがある。

 とするとAIの指示に次のような具体的名前を加える。

4⃣ 参考とする漫画家は「杉浦茂」とする。特徴的な両手の形も取り入れる。

 この 1⃣  4⃣  の指示を絵画イラスト生成AIに入れるとおそらく上のポスターとよく似た絵が出来上がってくると思う。

2024年10月13日日曜日

こんな政治家があらわれたらさぞや面白かろうに

  なしてか衆議院が解散された。あれよあれよで今月27日が投票日じゃ。ワイは棄権はしないので、まぁ小ましな立候補者に入れようと思ってはいる。裏金とやらで与党は逆風のようだ。じゃぁ野党が政権を取るかというと、野党は中小の政党にたくさん分かれているため、合同統一して政権奪取に当たらねば難しかろう、じゃが合同も統一もできゃへんわ、っつぅのがジジイ一般の見方だ。

 与党もだらしないが、野党も歯がいたらしぃ。一世紀弱に垂んとする歳のジジイらから言わせてもろたら、「政治家と金の腐れ縁、ふん、そんなもん、日本開闢以来のこっちゃ、石川五右衛門はんもいうてた、浜の真砂は尽きるとも、世に、金権政治家の種は尽きまじ、て、だから、それを承知で公民権をたまさか数年に一回行使したんやわ。それになぜか経験則でゆうと金権政治家が活躍しているときは景気がよくなったことをおぼえてるわ」まぁこれはジジイの寝言かもしれんから無視してくれてけっこう。

 ほな、期待されるのは野党だが、これも「本気で政権とる気、あんのかなぁ」とづっと思ってきた。理想理念を挙げるのは大いに結構、しかし、それを即実行しまっさ、というにはどう考えても現実離れしたものが多い。ほんなんで嵐強まる国際社会でやっていけれるんかいな。また福祉手厚く、弱者に手当てをいろいろ渡すの、ありがたい、ワイは大歓迎や、ほにゃけんど、膨大な支出に見合う、税収はいけるんかいな、と心配するが、「いや、なんとか工夫して十分やっていけます、心配おまへん」、といわれるが、一世紀近く生きて世の変遷を見てきたジジイは信用してない。

 与党も野党も期待でけへんとなったらどないしたらエエんぞい。それに関し、ワイ、このごろAI(人工知能)に関する本を読んでいるが、その中にはAIによってバラ色の未来を描くものもある。そこでじゃ!いっそ、政治も(やがて神のごとくお利巧さんになるといわれている)AIにまかしたらどないやろか、と冗談に考える。まさかな、ハハハハハハァ、と笑いとばすが、その「AIに政治を任す」というのを、ためしにネットに打ち込んで回答してもろた。

 すると、おぶけたことに、なんと!AIを利用して政治をするどころか、もうAIが主体になって政治をする動きが欧州で始まっているという。下はそのニュスから二つ

 その1 7月4日に投開票される英国の総選挙に、政策を生成AI(人工知能)に従って決定すると公約する候補者が出馬している。英メディアの世論調査によると、当選する可能性は極めて低いとされているものの、候補者は当選した場合、AIの「代理人」として活動すると訴え、支持を呼びかけている。

 その2 デンマークでは「人工党」というAIが政策を主導する政党が誕生した。

 どないやろ?ワイの住んどる四国島を疑似独立国として、仮に(五年期限で)独立国として、AIに政治をやらしてみるっつう、のは、「四国」がAIによってうまく政治をおこなえるかの壮大な実験となる。人の統治よりAIがずっとまし、となったら皆はん、どないします。

 ここで「政治家は誰でも、いやたとえ人でなくてもできます」というパロディを紹介します。

 今昔物語(平安末にかかれた説話集)巻二十八、三十九話より


 発端は、サナダムシが腸に寄生している女がいて、その女が男の子を産み落とした。大きくなり、そこそこ出世もし、とうとう信濃の国の「国司」、今でいうと県知事に任じられ、赴任してきた。ところがその赴任を祝う宴会で、信濃の国の名物である胡桃をつかった料理を国司は忌避して全然箸をつけない。

 国司を迎える国府の次官がいた。この人、よほど感の鋭い人なのだろう、国司がことごとく胡桃の料理を忌避するのは、もしや、この国司は、サナダムシの化身なのかもしれないと疑問をもった(ふつうそんな疑問持つか?と突っ込みを入れたいが説話文学なのでよしとしよう)。というのは、サナダムシは胡桃が大いに苦手というより、毒として作用するのだ。つまり胡桃はサナダムシの「駆虫剤」となるのだ。

 クルミが駆虫剤ってありえるのか?今、ネットで調べてみた、生薬では「柘榴・ザクロ」の皮や根がサナダムシの駆虫作用があるようである。ザクロとクルミの成分はよく似ているのだろうか。そこはわからない。ともかく平安時代はクルミがサナダムシの駆虫剤と信じられていたのだ。

 そこで、次官は、祝い酒にクルミを擦りこみ、「まま、国司殿、祝いの酒やから、一献」と半強制的に飲ませた。すると、あぁ~ら不思議、国司殿のからだは見る見る水のようになって流れてしまって、あとには国司殿の服のみが残っていた。やはり国司殿はサナダムシであった。と話は終わる。

 これ、次官に見破られなんだら、サナダムシが信濃(今の長野県)の国司(知事)として政治をしたはずである。幼い時からサナダムシということを隠し、出世したのだから、そのハンディがある分、いっそ普通の人よりいい政治ができたかもしれない。その時までなんら社会に害することなく生きてきて、国司にまで出世したのに次官はいらぬことをしたもんだと、ワイは思っている。どんな政治をしたのか見て見たかった。

 ところでAIは人より優れた知能を有するものも現れるので政治を任すことも考えられるが、「サナダムシの知能」っていかほどのもんじゃろ。第一、サナダムシって神経や脳はあるんか知らん。ネットで調べると次のように書かれていた。

 サナダムシには神経があります。サナダムシは扁形動物で、かご形神経系を備えており、頭部に神経の塊が集中しています。また、体全体に神経繊維も伸びています。サナダムシは、全身に全能性を持つ未分化の幹細胞(新生細胞)を備えているため、高い再生能力を有しています。切断された各断片ごとに目ができたり、脳のドパミン神経ティアラが通常7日間で再生・再構築されたりします。

 頭部に神経の塊があるというので、これが脳のようなものだろう。「アホでもできる政治家」と揶揄されるが、まさかサナダムシより人の政治家の脳が劣ることはあるまいな?うらやましいのはサナダムシは体がブチ切れても、頭部が残っていれば完全に再生されること。

 令和の御代の政治家のみなさん、サナダムシに負けんよういい政治をしませう

2024年10月11日金曜日

ハガキがきたよ

 ワイ、肉体は十分すぎるジジイだ。それどころか実のところ老衰で死にかけの態だが、なぜか、ふと、いま、自分は本当に75のじいやんだろうかと疑問に思ったりする。精神、心は75と別のところにいるのだろうか。ときどき早朝のまどろみのなか、「高校への通学時間が迫っている、汽車にまにあわなくなる、もう、起きねば」と半睡の夢を見たりする。 かなり覚醒した状態でも布団でグズグズしていると、もっとも青春していた高校や大学のことをつい、昨日のことのように思い出す。なんと!青春からジジイの今まで信じられないほど須臾の間だったなぁ、と感慨深く思う。たとえると歩いていて道の角を曲がったらすぐ爺さんになった。と、これも半覚醒のボッとした頭のせいかそう思ったりする。完全に目覚めると、そんな阿呆ぅげぇた高校生の自分とジジイの今とは須臾の間だったという「感じ」は霧消する。

 法律や制度から「おまぃはジジイじゃ」と思い知らされるのが何回かある。一度目満65歳になった時、役場から通知があり、蚤の金玉びゃぁの年金から、「はい、65歳が来たんで、介護保険料をごっそり(ワイにとっては)引かせてもらいまっさ」、で初回確か、年6万弱も引かれ、えぇぇぇ!ワイ、どないして暮らしたらええんぞい、と暗澹たる思いになった時。

 二回目は満70歳、これは一回目とちごうて、嬉しかったなぁ。70歳になって病院の窓口の支払いの負担量が、今までの3割負担から2割負担になった。歳ぃいって病院通いや薬が増えたので、ほんとこれは助かった。「お上」に感謝したわ。

 三回目は、きにょう、ハガキが届いた。下である。運転免許更新の「高齢者講習」である。もう13年もペパドライバなので返上しようと思わぬものでもないが、せっかく大枚の金をはたいて若い時とった免許だからせめてあと一回くらいは更新しようと思っている。一日の講習で終わりだが、「実車指導」もあるのでちょっと不安だ。じゃけんど、ほぼよほどのことがない限りパスするというので安心はしている。


 そして、四回目、これはまだ来ていないが、あと一年びゃぁでワイは満75をこえ「後期高齢者医療制度」の健康保険適用になる。別枠で保険税を徴収される。これよくわからんが、今より負担が増えるんとちゃぁうか?今と同じか、安くなるのならカンマンが、これ以上高こぉなってゴゾッと年金天引きされるようなら、もう、福祉具体的には生活保護)のお世話にならなあかんかもしれん。まぁ、そう寿命もなごうないから、福祉じゃの、酢じゃの、コンニャクじゃのいよるうちにくたばってお目出度くなるわな。

2024年10月9日水曜日

受賞と懸念される近未来

  やはりな、という感想である。昨夕発表されたノベル賞である。物理賞でもっとももらうべき人がもらったのである。受賞者二人の研究成果にノベル賞級の意義があったのはもちろんだが、それを基礎とした技術(機械学習)がAIに応用され、AIの能力が驚くべき向上をみせたことが、より注目されるべきことである。

 具体的にはまだ発表されて二年(2022.12月)にもならないそれらの技術を使ったチャトGPTのインパクトはすごかった。わずか二ヶ月でユーザが一億人を軽く突破して以後も急上昇をつづけた。いろいろなIT商品・インタネトのアプリはあったが、このように爆発的な普及は断トツである。

 ワイら一般人からしたら、研究室の中とかごく一部のITマニアが先端のAI技術をモモグリまくっても、知らないし、それがいかに革新的技術であっても、自身にはインパクトはもたらさない。しかしそれがチャトGPTのように猫も杓子も使える形で現れ、爆発的に普及したとなれば、その革新的技術に向き合わねばならない。

 それは恐るべきモノであるんじゃないかと、不気味な予感とともに受け入れらたんじゃないだろうか。あらゆる対話(知的なものからオッさんオバはんの井戸端あるいは噂話まで)に全く人と変わらず受け答えしてくれる。まぁ、それは良いとして、その対話の基礎となる知能となれば、ワイら凡人が到底およばない、いやこの地球上にいままで現れたどんな天才よりも優れた知能を有する者が、対話の向こうに存在するのである(と思われる正確には

 それは万物の霊長(つまり地上の生き物で最も優れた知能を持つ生き物)ということで、地球を支配したと、うぬぼれにも思っている人類にとって代わられる「モノ」となるんじゃないか。というそのような悪い予感である。

 他動物に比べ、力もそう強くない、強力な攻撃の「牙」も「鋭い爪」も持たない、か弱い人類がなんで地上の支配者に君臨できたかといえば、これはひとえに知能があったからである。また人の社会においても、特に現代に近くなるほど、知能が低い人より、知能の高い人が、社会的地位を上昇させるのは当たり前である。

 そのような人類に支配される他動物は生殺与奪を甘んじて受け入れざるを得ない。そんな他動物は冷酷な人を見ても高い知能を持つ人間が何を考えてそのように我ら(他動物)に害を与えるのかは、低い脳力の動物には分からない。

 さぁ、それと同じことが幾何級数的に発達するAI(人工知能)と人の間には起こりはすまいか、今まで脳力の低い動物をそのように扱ってきた人が、同じ報いをAIから受けるんじゃないか、これは杞憂とは言えまい。

 唯一ノベル賞を二度受賞したキュウリ夫妻は「ラジゥム崩壊」現象を見極め、受賞した。それは不思議な現象であった。今まで物質からエネルギを取りだすのは燃焼などの化学反応であった。ところがラジゥム崩壊は化学反応とは全く違う仕組み(原子核の一部崩壊、正確にはα線崩壊)で莫大なエネルギを長時間放出したのである。

 これが原子核から直接エネルギを取り出す原子力の嚆矢となった。続くのはウランの核分裂、重水素の核融合である。

 それはさっそく爆弾に応用された、そして今がある。全人類を滅ぼす可能性のある爆弾がすぐにでも使える状態でこの地球に存在する。初発(明)の二発だけ使っただけで、その後は使われていないが、しかしそのボタンはいつでも押すことができる。現代はあやうい綱渡りのような時を刻んでいるといっていいだろう。

 そのような核兵器に近いモノとなって、人類に脅威を与える存在に、AIはなるんじゃないかとの懸念が、素人ではあるがワイにはあるのである。

 付け加えるなら、核兵器は使われるにしても(今までは)少なくとも人の判断であった。だから人自身で、核の抑止もできるし、難しいが核の全廃も出来る。しかし、AIの脅威はそれとは違う。人類が太刀打ちできない高知能をもつ、そして何を考えているのか、いやAIが人並みに考えるというのも、低知能の人類の類推だ、AIはそんな人の類推も及ばない、人から見れば神のような全能の力を発揮するかもしれず、そうなれば当然人の手を離れて、はるか上の方にそびえたつ存在になるだろう。そうなると、人類は絶滅はさせられないかもしれないが、奴隷化、AIによる人の家畜化まで進むかもしれない。それを決めるのも実行するのも人ではなくAIと呼ばれるものとなるんじゃないか。

2024年10月7日月曜日

平安の衣装と化粧

 おもっしょいんで毎回みてます。大河の「光る君へ」

 私は女房装束の色とりどりの華やかさに目を奪われます。おや、皆さん現代的な美人が多い中、一人平安朝の美人がいますね。

 みなさん豪華な衣装を何枚も重ねているためかなりの重さ、殿中を動くときは、立って衣装をゾベリンこゾベリンこ引いて歩くより、いざって動くことが多かったんじゃないかと推測しますがどうでしょうか。


 下のような立ち姿より、上のように座る、脇息などにもたれ半分横になるほうが、私はしとやかで奥ゆかしさが出て好きですが、みなさんはどうですか。


 まぁ、こんなこと要求するのは間違ごぅとるとは思いますが、女性の化粧ね、も少し平安時代に近づけないもんかなぁ。お歯黒は、現代人から見ると不気味ちゅう人が多いから、これは白い歯でよいとしましょう。ま、皆さん、おしとやかな平安美人ですから大口を開けでゲタゲタ笑うこともないし、扇で口元も隠せますしね。下は、史実に忠実に従った江戸期の人妻の化粧(映画:十三人の刺客、より)、眉そり落とし、お歯黒です。


 ただね、眉は、もうちっと平安(風)になれんもんでしょうか。太いくっきり眉、形はいいんですけど、「虫愛ずる姫」の古典では、ゲジゲジ眉として忌み嫌われ、この物語の姫以外はだれもいませんよ。黒澤明監督は、平安時代の「今昔物語」が原作の映画「羅生門」では、女優はんに眉をそり落とさせ(実際は化粧で隠し)、目の上部に墨でうすぼんやりと描かせています。これが平安風に近い眉の手入れです。どうです?け(気)色悪いですか。下はその映画に出演した京マチ子さんのスチール写真です。わたしはうっとりするほどきれい化粧やと思いますが、なに?気色わるいって、やっぱ、ワイの美的感覚が古すぎるんかいな。


 このドラマでは庶民の衣装にも注目してます。

 かなり年齢を重ねても、夢見がちな少年少女の心をずっと持っている人はいるもの、ま、恥ずかしゅうていえまへんけど、ドラマ見ながらこのきらびやかな平安絵巻の貴族の男女に自分を重ね、ワイやったら、ウチやったら、このキャラでこの衣装じゃわ、なんぞとうっとりする。男やったら、ものすごいイケメンで心も純粋で白ユリのような一条天皇に自分を重ねましょ、行成くんもエエな、渋いところで実資は?女やったら、ま、誰も美人ですからだれでもよろし。

 しかし、もし皆さんが万が一、平安時代に生を受けるとしたら確率からゆうて、上級貴族になる確率なんぞ10万分の一もない、絶対的多数は庶民として生まれる。そう思うと、このドラマで一身にその庶民的キャラを受けて存在感のあるのは「乙丸」はん。我ら庶民のチャンピオンとして注目しましょう。華やかさはないがその衣装を見てみましょう。

 萎え烏帽子、薄汚れたげぇに見えるよれよれの着物(水干)、衣装だけならずこの哀れげぇな表情、そしてしょぼくれた立ち居振る舞い、エエ庶民キャラやわ!毎回、乙丸はんが出るのを楽しみにするようになりました。


 乙丸はんによく似た平安京の庶民「伴大納言絵詞」に出てます。下がそうです。


 この絵巻ではほかにも庶民が出てきます。女性もいます。平安時代の庶民の女性一重の着物で、中には腰に腰巻のようなものをあてているひともいますね。乙丸はんのそばにはこういう格好した女性が複数いますね。衣装は化粧と違いこのドラマではよく時代考証されていて、本物に近い衣装となっているようです。



 「水干」の衣服の図解です。


 今でも神社の祭り一員としてこんな格好した人がいますね。

2024年10月6日日曜日

本日のローカル紙読後の雑感

  今日10月6日の我が地方のローカル紙を読んだとりとめもない感想をブログにしました。ローカル紙とは言えわが県のそれは、各都道府県別の各新聞(全国紙も含め)市場占有率では、なんと全国で三番目の高さを誇っていて68%もある。わが県より高いのはわずかに福井と鳥取のローカル紙のみである。他紙と読み比べて、劣ることはないだろうがそう魅力あふれる新聞でもない。しかしこの占有の高さである。

 まぁ、なんしにほないになるか、推測することはできる。わが県を含めて上位三県はいずれも人口の少ない少子高齢の県である。高齢者は紙媒体でニュースを知ろうとする人が多い。朝、バサバサと、広げれば半畳ほどの広さにもなる新聞を広げ、首っ引きで、しばらく新聞に没頭する。高齢者のルーティンになっている。そしてそれがないとなんか、落ち着かない。そういうじいちゃんばぁちゃんは多い。また高齢者ほど、地方の細かいニュースを知りたがる。ローカルニュースのきめ細かさは、全国紙の、たとえ地方ローカルコーナがあったとしても、太刀打ちできるものではない(どこそこの、何べえはんが死んだじゃの、あそこの息子、娘が結婚したなんぞも我がローカル紙は載っている)。そんなところから市場占有率も高くなるのだろう。

第一面

 どこの新聞であっても、一面は政治面である。で、トプニュスは、はやくも衆議院選挙の立候補予定者が、「熱く」活動開始、である。先ほども述べたようにわが県は小人口県である、以前は三つあった選挙区も、二つになった。出る人もだいたいわかっている。やはりその人らが選挙対策会議を開いたり、後援会のあいさつ回りで、選挙運動を立ち上げたことが記事になっている。

 この記事を見て納得したことがある。昨日、駅を降りると、いつも静かな駅前だが多くの人がウロチョロしている。おおむね二種類の人々がいる。一つは運動員みたいな感じの人々、もう一つはミィハァ的な人々。今日の新聞を見て、その二つの人々が何かわかった。一つのグループは、駅裏のホテルで行われた衆議院選挙の立候補予定者の事務所開きの会合に出た人々、もう一つの人々らは、これも今日のローカル紙の文化面に載っていたのだが、なんと我が貧ちょ小まい町の駅前で「映画のロケ」(地方発と言われる映画)が行われたのだ。そりゃ退屈な田舎だもの、近くのミィちゃんやハーちゃん、キクちゃんまでかけつけるわな。

 今日は日っちょだからか、一面の左半分に大きく「政治コラム」が載っている。著者は確か東大の(元?)センセ。とはいえ、なんぼぅワイのような田舎の爺ちゃんでも、肩書だけで畏れかしこまる時代ではない。記事内容次第だ。で、読んでみる。「やっぱりな、細部にわたるまで予測できるコラムだ」。ここでちょっと、もしかして?という疑問がわいてくる。しかし、著者の名誉にかけてそんなことはないだろうと思いなおす。

 いったいどんなことか、ワイでもこのコラムの数行読んだだけで、あとに続く「小論文」(コラムだが体裁はそうだ)の筋から結論まで見通せるのである。政治的な立ち位置としたら「中道左派ないし左派」であろう。その立ち位置をベースに、もし「生成AI」に、このコラムのたった数行と、いくつかのキーワードを含んだ「プロンプト」(生成AIに対する具体的指示)を入力すると、これくらいは、いや、はっきり言うが、これ以上のコラムを書いてくれそうである。

 何回かブログでゆぅたと思うが、最近ワイは、「生成AI」とは、いったいどんなもんなんじゃろ、ちゅうおベンキョをしている。大して進んではいないが、それでもAIは、人が到底太刀打ちできないほどの膨大なデェタベェス(情報)をもとに自ら学習し、例えばある主題の論文ならば、幾何級数的速度で自己改善していくことがわかった。プロンプトの指示で素晴らしくよくできた論文の例をいくつも見た。まさかホンなことはあるまいと思うが、ふと、これ生成AIが作った、あるいは関与しているんじゃないかと思った次第である。昔は、売れっ子教授が、新聞出版社から、手に余るくらいの原稿を頼まれ、どうしようもなく、小論文、あるいは、コラム、のような短い文章を、自分の教え子の大学院生に書かせ、あとで目を通し、少し手直しして、渡すということがあった。今だと、これは生成AIの仕事になるだろう。まぁ何度もいうが、ホンなことはあるまいが。

 このコラムに、少なくとも出だし、あるいは結論部分でもよい、わが郷土県のローカルな話題、言葉が入っていたら、このような印象は持たないだろうと思う。あまりにも普遍的、一般的過ぎて(まぁそれが小論文の本旨なのだろうが)、生成AIが作りそうな、それも安モンのAI、に見えるのである。筆者が生成AIを使うのは「なんちゃカンマン」のであるが、ローカル紙らしい特色、その筆者の個性があらわれる表現を、その生成AIの文章をもとに添削、加筆、なんぞすればエエと思う。

スポゥツ

 ヒィィェェェェ~、野球ボゥル一個が、なんと2億7千万!大谷の、いやゆる「50-50」の記念ホムランボゥルである。キャッチした観客がオークションに出してのこの値段である。ただし、まだオクションは続いていて、もっと値上がりする可能性がある。今現在でもこの値段は、アメリカ史上(野球記念ボゥル)二位というから、もしかして最終的に最高額となるやもしれん。キャッチした観客、どこのだれやら知らんが羨ましい限りである。たまたまボゥル一個とって、数億ゲットって、いや~すごい

 年末ジャンボ宝くじ買って数億もらえる確率より、この球場でグロゥブもって手ぇ広げとる方が数億円を当てる確率が高いんとちゃぁうかな。それはともかく、御本尊の大谷はんのものすごさがあらためてわかりましたわ。

あ、このじいやん知っとる

 二人のじいやんの写真付き記事が載ってた。一人は「あれ、この顔、図書館の新聞コーナーで、日がな一日おるじいやんに似とるな」と思い、みると、それは芸能面である。まさかな、文章を見ると「いや、ソラ似やったわ」、記事は俳優の「江藤潤」さんの随筆である。私より一つ下だが、これに使われた写真はえらいしょぼついて老けたようすである。ネットで探すと、最近の写真でも、もっとかっこいいジイサン顔したのがあるのに、こんなん使わんでもな、と思う。

 江藤潤さん二十代の時、当然私も二十代だが、屈折した、反抗的な青年の役がぴったりはまって、そのキャラに、自分を重ね、ちょっとあこがれたものである。新聞の写真は笑顔ではあるが、昔のイメージを壊しそうな姿である。まぁ、ワイの顔を鏡に映してみれば、もっとクチャクチャのグズグズのじいやんになっとるから人のこたぁ言えんわな。

 もう一人のじいやんは、文化面に載ってた。もと写真家だが引退後も写真分野で活躍、その一環の活動が大きく取り上げられ写真付きで載っていた。こちらはワイの知っとる人で間違いない、住所もフルネームも一致する。顔も昔の面影が百分の一びゃぁは残っとる。60年ほど前の中学校の同級生である。この時は、色白の、ええとこのボンボンのようなおっとりした、上品な顔しとった。やっぱりみんなじいやんになるんやな。

涙と笑い、後悔の三面記事

 なになに、「某町の町役場の課長はんが、女子トイレ侵入か、が気になる、なんか濡れ衣、あるいはよほどの事情が隠されているのか気になる)」、え、一瞬、間違いあるいは本人の思い違い、あるいはボォゥ~として思わず女子トイレに入ったんちゃあぁうか、と思った。もう45年も昔になるが、欧州をツァァ旅行したことがある。確かフランクフルト空港だったと思う、そこの男子トイレに入ろうとして間違ごぉて女子トイレに入ったことがあった。それで出てきたドイツのばぁさんにドイツ語で怒鳴られた。ちょっと言い訳を言うと、日本の男女トイレは男性女性のピクトグラムの絵が表示してあるが、それに男性は黒か青、女性は赤の色がついている。とても分かりやすい。ところがドイツのそれはピクトグラムはよく似たものであるが、男性型も女性型もいずれも黒なのである。わかりにくい。それでもともとうっかりモノのワイが間違ったのである。

 しかしこんなにデカデカと大新聞(?)に載るんやから、それはないだろうと読むと、一度ならず再度である。たぶん何度か目撃されたのであろう。以後、防犯カメラを設置して侵入を複数回確認したそうである、から思い違いや間違いではない。記事によると逮捕されたわけではないが、防犯カメラの証拠があるので町が警察に被害届を出し、警察は捜査、町は「聞き取り調査」をしたそうである。当人は認め「ご迷惑をかけて申し訳ない」と言ってるそうである。動機については語っていないと載っている。

 あまりにも恥ずかしいことなので動機は語れないのか。まぁ普通に推測すれば、なにか性的な欲求に抗することができず、それを満足させる意図で侵入したと考えるのが妥当ではある。犯罪度の高い順から(つまり許せない度合いが高い)いえば、1⃣ 隠しカメラで撮影してこまそ、2⃣ 覗いてこまそ、そして3⃣ ウンコやションベンの香りないしその排出音(バリバリとかブスブスとか)に性的興奮を感じるため。

 ありえぬことかもしれないが、無罪になる「ある事情」も存在する。つまり、最近はやっとる、ほれ、例の、なんちゅうたかぃな確か「性同一性障害」!肉体は男にでけとるけんど、心は女性よ、っちゅのである。だから「ウチ、男性トイレの方が違和感がある、自分は女性なんよ、チ〇ポちゅう余計なもんはあるけんど、女性やから女性トイレ使わせてもらうけんなぁ」、と、これ、以前裁判で認められへなんだで?

 事情聴取に対し、弁護士同伴で、課長はん、茶髪の長いカツラつけて、キラキラの女性服で、化粧ばっちり、マニュキュァまでつけてあらわれ、実はアタイ・・・と話したら、これどないなる?女性トイレ侵入以上のインパクトはあるが、とがめられることはないかもしれん。

2024年10月5日土曜日

秋冷

 ゆうべタオルケットをひっかけて寝ていたが夜中に寒くて目が覚め、タオルケットを毛布にかえて再び寝た。しかし早朝、まだ寒いので毛布をもう一枚引っ張り出し、二枚重ねてようよう肌寒さがなくなった。後でうちらの地方の最低気温をみると19度であった。暑さに慣れた体だからだろう、そう大した気温低下ではないが、ブルッと震えるほどの寒さを感じた。明るくなって外を見ると小雨が降っている。

 野原にはド派手な花曼殊沙華と可憐なツユクサが混在して咲いている。



2024年10月4日金曜日

藍・愛・AI(あい)の郷(国)とくしま


 きにょう、テレビのローカルニュスをみていると、ウチらの県の知事はんが出ていた。話題は観光に関するものであった。ウチらの県の海陽町、牟岐町、海南町あたりの観光パンフレットに「右下・・」という観光キャッチコピが問題であるという。みぎぃ「右」は良いとしても、その次の文字、したぁ「下」が良くないという。観光ではその地方の特色としてあるモノ、あるコトを持ち上げ(上)なあかんのは分かる。

 に関しては、確かに小学校の時「走ンりゃい」徒競走)で足の遅いワイがビリになったとき、悪ガキどもから「やぁぁぃ~下々等げげとと揶揄された。上位の者から一等、二等・・ときて最下位は下等になるが、その下を二つ重ねて、下々等げげと)である。これでもか!ちゅうくらいの貶めようであり、涙がでてくる。そんなわけで「下」にワイもよいイメージはない。

 じゃけんど、能力の上下をつける小学校の徒競走と違って、この場合の右下方位位置に関するものである。ふつうに考えて右上とか右下に等級の上下はない。地図でいうと北が上になり南が下になる。でも地図の北が上等で南が下等なんぞということはない。この「四国の右下」という観光のキャッチコピに対して「自虐的」という批判が出ているが、地図上の上下つまり南北にそんな意味はないのだから、ちょっと神経質になってるのとちゃうか、と思う。で、右下があかんのやったらどないするんぞぃ?自虐的という人らは「みなみ」にしょ、というてるそうだ。しかし単なるみなみではキャッチコピのインパクト度が薄れてしまうような気がする。

 四国はその四国島の形をデフォルメして長方形で表される。その中に四つの県が入っているのだが、その位置関係もこれまたデフォルメして四つのマス目方に四つの県をいれる。なにやら奈良時代の「行基(ぎょうき)図」のようだが、概略的な説明には今もよく用いられる図である。下の図である。

 これ普通素直に、言葉で位置関係を言えば、香川は右上、徳島は右下、愛媛は左上、高知は左下やろうが。それとも他により妥当な指し示しかたがあるんやろか。この右下って言葉に自虐の響きがあるなんぞ、だれも思ぇへんわな。

 ほんなこと言い出したら、ほれ、どっきゃらの町は、北海道のへそ、とか日本列島のへそとかいってるが、これ自虐どころか猥褻なんでないんやろか。昭和の時代、何ちゅう人か忘っせたが、偉い人が、セパレーツの女性水着(ビキニ)はイカン、へそがでとる。へそは性器じゃ。と名言をのたまった。そのことを考えると「へそ」は右下よりまだあきまへんで。まぁ、へそはともかく、だれも右下に自虐的な意味何ぞ感じんと思います。右下云々でもエエんとちゃいますか。

 観光のキャッチコピもその県の内実が素晴らしいものであれば、おのずとインパクトのあるものがでてきますって。内実が貧弱なのになんぼうエエキャッチコピ考えたってどもなりませんわ。

 江戸期、ここ阿波(徳島)では染料の「藍」(あい)の生産は全国一だった。そこで「藍の国阿波徳島」といわれていた。それをもとに、その藍にかけて「(藍)国阿波徳島」という甘ぁ~ぃ恋人向けのようなキャッチコピも考えられた。これにならうなら、知事はん!わが徳島県のIT産業に力をいれ、AI技術で日本、いや世界で注目される存在にしまひょ、そしたら「藍の国徳島」が「AI(あい)の国徳島」になりまんがな。